業界日合商 大阪木材会館物語

株式会社大阪木材会館が昨年の春に解散した。なぜ解散したかについては様々な意見があり、ここではそれは触れない。このコーナーは大阪木材会館の歴史について書く。
大阪の木材人にとって大阪木材会館はビルの名称である。株式会社大阪木材会館(当時の社長は橋本博明氏)という法人格としての意識は薄い。西区白髪橋にあった大阪木材会館の存在があまりにも大きく、入居するテナントの大阪府木材連合会が絡むと役員がダブっているので話がよりややこしくなる。
今回、住之江区平林駅前に建設されたビルは3代目の大阪木材会館である。京阪神では神戸木材会館が若干大阪のケースと似通っている。兵庫区大開通りの神戸木材会館は株式会社神戸木材会館が土地も建物も所有しており.テナントとして神戸木材業協同組合が入居している。大阪府木連と同類の兵庫県木連は別の場所にCLTのビルを新築したのは記憶に新しい。
ところが大阪木材会館は土地と建物の所有者が違っている。大阪木材会館の歴史を分かりやすく解説する。
初代の大阪木材会館は昭和23年に建てられた木造2階建ての会館だった。施主は大阪府木材協同組合(昭和25年2月15日、大阪府林産組合から改組)。建設に当たって出資金を募り、545名の組合員は出資金額に応じた権利を有している。
※西区白髪橋の227坪余の土地所有者の推移を調べると…明治36年12月1日岸芳兵衛の所有に始まり同42年10月29日東区横堀の藤井平治郎(大阪材木商同業組合初代組合長)・坪井卯兵衛(布卯・組合評議員)・西区境川の筒井徳右衛門(組合評議員)の三者名義で売買分筆登記され、翌43年6月3日筒井徳右衛門の持ち分を藤井平治郎に譲渡。大正4年7月15日家督相続した藤井平一郎より立売堀の喜多井利兵衛へ。(中略)昭和18年11月15日大阪木材㈱(社長・井上信太郎氏)が当時の金額8万5百円で譲り受け、翌19年8月2日統制会社の大阪地方木材株式会社に渡り、戦後、昭和23年9月20日大阪府木材林産組合へ売買登記ののち昭和25年2月25日組織変更した大阪府木材協同組合の所有となった。
2代目の大阪木材会館ビルは、昭和23年に建てられて老朽化が進んだ木造の旧会館(土地・建物ともに大阪府木材協同組合)を広く木材業界から出資者を募って新会社〔株式会社大阪木材会館)〕を設立し、その資金をもとに昭和46年11月3日に完成した。新会社の設立発起人は楢崎伝蔵・岡田勝利・松尾東三郎・岡本佐一・竹田平八・西野義三・橋本助二郎の7氏。新会館が完成したことにより大阪府木材協同組合は地主となり、建物は株式会社大阪木材会館の所有となった。以来両者は特に金融面でテナントとして入居する大阪府木連の活動を支えてきた。
昭和46年に建てられた会館も50年近く経過して老朽化が進み、耐震改修の必要性やテナント撤退等にも見舞われ、株式会社大阪木材会館は無配の状態が続いていた。株式の買い取り請求が多発し、その株式の引受人がいない様態が続いていた。耐震改修費用も5千万円は下らない、建て替えるには莫大な費用がかかる。八方ふさがり、瀕死の状態だった。かかる環境下、阪急不動産から売却のオファーが舞い込み、幹部が種々検討を加えた結果売却となった。㈱大阪木材会館並びに大阪府木材協同組合は予期せぬ大金を手にしたのだ。今思えば売却しか選択肢はなかったのだろう。大金を手にすると人の心も変わる。
【写真説明】
①初代の木材会館 ②昭和31年の木材会館 ③昭和40年代の埋め立て前の長堀川(東向きに撮影)④木材会館から大正橋方面を望む ⑤白髪橋の旧木材会館から ⑥長堀川の埋め立てを見る(左に四ツ橋の電気科学館が見えます)(昭和40年代) ⑦2代目の木材会館建築中 ⑧2代目会館がヒートアイランド対策の実証実験中 ⑨平林駅前に完成した3代目の木材会館
3代目の大阪木材会館の着工に至るまで土地売却から1年半の月日が流れた。その最大の要因は土地と建物の所有者が異なったことによる。大阪木材会館の土・建物の売却代金の61%(約5億2千万円)が建物所有者の㈱大阪木材会館の懐に入り、39%(約3億5700万円)を地主の大阪府木材協同組合(当時の理事長・中村暢秀氏)が受け取った。その後、両者と大阪府木連の幹部らが㈱大阪木材会館・大阪府木協・大阪府木連の今後のあり方を議論してきたのは言うまでもない。当初は現在の敷地に建設される予定のマンションの一室を㈱大阪木材会館が購入して大阪府木連の本拠とする案もあったが完成が5年先、時間的にも税務的(買い替え特例の適用)にも支障がありお流れになった。
大阪の木材業界の司令塔である大阪府木連が陣取る大阪木材会館という名称の建物は絶対に必要だ。大阪の木材の発祥の地・西区白髪橋を離れて違う場所に建ててもいいのだろうか。建物は株式会社大阪木材会館、土地は大阪府木材協同組合という2代目の「先人の知恵方式」を踏襲すべきか、土地も建物も大阪府木協単独で行うか。選択次第で建設原資は大きく変わってくる。様々な議論が交わされ続けた。そうした中、候補地として浮上した平林駅前の土地が地主の好意もあって大阪府木協が単独で取得、新大阪木材会館建設準備委員会(委員長・津田潮氏、当時は大阪府木連副会長)を発足させて「大阪府木協単独建設方式」で動き出した。その間、㈱大阪木材会館は理事会・総会等で「解散の声もあるが大阪府木連を支援する方策を真摯に考えている」というメッセージが橋本博明社長から発せられ、「先人の知恵方式」を含めた様々な議論が継続していたのは言うまでもない。
株式会社大阪木材会館並びに大阪府木材協同組合から事務委託を受けていた大阪府木材連合会の存在も大きい。株式会社大阪木材会館が解散すれば同社からの事務委託費がなくなる。地主の大阪府木材協同組合は会館のテナント収入が頼りだが現時点のテナントは大阪府木連と平林会・平林会木協のみ。建設資金として大阪府木連からの借入金の返済の見通しも定かではない。今回の大阪木材会館からの2億円近い寄付は「先人の知恵方式」と異なるとはいえ、漸減する会費収入だけでは運営が覚束ない府木連にとっては誠にありがたい話だ。越井健会長時代から府木連の仕事量は激増し花尻忠夫会長・中村暢秀会長に続いて現在の津田潮会長も激務をこなしている。行政の窓口として府木連の存在は欠かせない。府木連の設立趣旨は「政治力に劣る大阪の木材業界を大同団結させることによって力を結集し以って大阪商人の土性骨を広く世に知らしめること」である。
※大阪府木連は昭和37年1月25日に設立された。初代会長は今木善助氏(大阪木材業組合長)。副会長は楢崎伝蔵(大仲協理事長)・藤井奈良一(日本木材輸入協会大阪支部長)・村上欽二(阪神外材協会副会長)の三氏。加入団体は42。
3代目の大阪木材会館の所有者は大阪府木材協同組合(理事長・中村暢秀氏)。大阪府木連はテナントとして入居し府木連としての業務を遂行しながら大阪府木材協同組合の事務(会館の運営等)を代行する。