大合商の講演会 =10月2日= | 日本合板商業組合【日合商関西支部報】

勉強会・研修会

2024年10月10日

勉強会・研修会大合商の講演会 =10月2日=

大合商の講演会 =10月2日=

木材建材業界のレジェンドが熱く語る
「業界の歴史と変化、次なる時代に向けて」
~合板・木材今昔物語~

大阪合板建材商業組合(組合長・久我洋一氏)主催の講演会が10月2日(水)午後3時より心斎橋のTKPカンファランスセンターで開催された。当日は木材建材業界のレジェンド二氏[久我三郎(㈱久我相談役会長)・岡茂治(久我市売㈱元会長)]が講師とあって90名を超す多数の会員・関係者らが参集、両氏の講演に耳を傾けた。

池内亮氏(久我市売木材社長)の司会で始まり、進行役・コーディネーターはこばやし・あきこさん。彼女はNHKのキャスターから女優に転身し、先日エミー賞を受賞した「SHOGUN将軍」にも出演、ヒロインの侍女勢津役として活躍した。

■久我三郎氏
最初のスピーカーは久我三郎氏。同氏は昭和10年生まれ、89歳。慶応大学を卒業後岡谷鋼機に入社、海外留学を経て帰国後は家業に就き、久我では建材畑一筋に50数年歩んだ。
久我の一番の転機は新建材分野に参入したこと。何故、建材をやることになったのか?父俊一から聞いてはいたが市売は長く続かないと思った。アメリカ西海岸を視察した時、当地の住宅は簡単で明るい住まいだった。それも新建材をふんだんに使っていた。これをやらないと材木屋は立ち行かないと思った。

日本で初めて展示会を開き(2年連続)、これが大好評だった。久我に建材部門をつくったのは1959年のこと。建材を売るにはどうすればよいか?チームを組んで得意先を回った。しかし、関心は持つものの使えないと言われた。そこで親睦会(久友会)を結成し、その場を活用して材木屋さんの意見を聞いた。更にメーカーにも参加願った。建材に興味を持つ材木屋が次第に増えてきた。当時の新建材の代表は永大の「プリント合板」であり松下電工の「パネライト」。久友会の場を通して新建材の情報が広まり、1970年ごろに船場センタービルで展示会を開き、客を招いた。4大メーカーに加えて絨毯等も展示し、1日で5000万円ほど売り上げた。我々が場所を提供したのだ。そのあとキッチンや風呂・洗面・トイレ等の水回りにまで商品群を広げ、材木屋の手を通して売った。パイオニア的存在だった。朝潮橋の国際見本市会場でも展示会を開いた。最終ユーザーも含めて全国各地から大勢の客がやってきた。メーカーも手伝ってくれた。

ところが今は流行らない。展示会の時代ではなくなった。経費が掛かりすぎる。メーカーが独自のショールームを展開しだした。今まで材木屋が扱わなかった商品を扱うようになったのは大きな功績だと思う。ユーザーの考えも分かった。
建材屋の劣っているところは自分が扱っている商品しか知らないこと。もっと他のメーカーの商品を研究すべきだと感じている。

吉野石膏株式会社

■岡茂治氏
続いて岡茂治氏。大阪八尾の久我市売木材㈱(社長・池内亮氏)前社長で取締役会長だった同氏は本年7月末を以って勇退した。岡氏は昭和22年生まれの77歳、高野山の麓九度山で生を受け昭和40年4月、当時の㈱久我商店に入社した。「市売の神様」と称された久我俊一氏の薫陶を受けた最後の人物。

今の久我三郎さんの話を聞いて新建材が全く分からない自分には勉強になった。
入社した当時の久我は市売・附売が中心、営業マンは全国で100人前後いたという。昭和50年に創立した久我市売木材㈱はその久我の源流ともいうべき市売業を引き継ぎ、50年間、久我の原点を守ってきた。久我市売木材㈱に移った岡氏は3代目の社長(平成9年~令和元年)として社業を大きく発展させた。

木材の本流である市売に専念してきた。産地と仲買を繋いできたという自負はある。常に産地に出向いて人脈づくりに励んできた。出向くこと、行って社長と話をして親しくなる。人と人との対話が営業の基本だ。我々は一種の人気商売だ。キャバクラではないがご指名を頂くこと。仕入れ先を大事にする。我々は流通業、メーカーや商社を大事にする。手形を現金に変えた。仕入れ良し、売り手良し、買い手良し、の三方良し、の精神が大事だ。だから弊社は一度も仕入れが滞ったことがない。一旦買うと決めたら毎月買う。いい時は当たり前だが悪い時でも買う、絶対ゼロにはしない。単価だけでは長続きしない。何度も言うが人間関係が営業の基本。相手と会う、直に話をする。とにかく一所懸命働くこと。そしてよく遊び、金を使うこと。金を使えば金の値打ちが分かる。遊んだら世の中のことが良くわかる。人と人とのお付き合いが商売の原点。

両氏の講演のあと「経営者として一番大事に思っていたのは?」の質問に答えた久我氏は「常に念頭に置いていたのが信用。また好不況の波にもまれながらもこの会社をどうしたらよいかを絶えず考えていた。自分を突き詰めながら前進する。自分の考えが社員にどれ位伝わっているのか?理解してもらうことに専念した。やはりコミュニケーションと信頼だ」と述懐した。「次世代へのメッセージは?」の質問に岡氏は「なんでもやれ!1回やってみること。アカンかったらやめたらええ。挑戦が大事だ」と話した。

閉会に当たって久我洋一組合長は「初めての試みです。岡さんのキャバクラで№1の指名を受ける話は説得力がありました。我々の行くところに笑いがある、参加して得るものがある、そんな会にしたい。万博がらみも含めてこの会を通じて情報を発信したい。そしてビジネスに繋げてほしい」と挨拶、講演会を結んだ。

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