大阪合板建材商業組合 桑原健郎組合長 | 日本合板商業組合【日合商関西支部報】

組合活動

2021年8月10日

組合活動大阪合板建材商業組合 桑原健郎組合長

大阪合板建材商業組合 桑原健郎組合長

人が集って 楽しい大合商に!!

関西支部長の丸敏幸氏に続いて登場するのは日合商関西支部を構成する大阪合板建材商業組合の組合長である桑原健郎氏、大阪市大正区小林町の紀洋木材株式会社を訪問した。
桑原健郎氏は昭和38年3月、紀洋木材の創業者である父一弘氏と母美代さんの長男として大正区小林町で生を受けた。母上の美代さんは皆さんご存じのように日本が戦後初めて参加した昭和27年(1952年)に北欧フィンランドで開かれたヘルシンキオリンピック(80㍍ハードル)に選ばれた超一流のアスリートだった。女子の陸上選手としてはたったの3人。母上は当時の日本記録保持者でもあった。(彼女の記録は昭和39年の東京オリンピックに出場した依田郁子選手が塗り替えた。)

母上は今年卒寿を迎えられ、いまでも元気に紀洋木材に勤務されている。また父上の一弘氏も陸上の名選手として名を馳せた一流のアスリートだった。ご両親は陸上の縁で結ばれたのは想像に難くない。健郎氏は陸上一家の申し子といっても過言ではない。

大阪の明星中学・高校から同志社大学文学部に進んだ桑原健郎氏の思い出話は陸上のオンパレード。中学2年で大阪府の大会で優勝、また中学3年では当時の標準記録を突破して国立競技場で走り、高校1年では長野国体200㍍に大阪代表で出場(22秒8)。さらには高校3年生の大阪インターハイでは22秒2で優勝、400㍍は50秒1で3位だった。「同志社大学時代はケガが多く大した成績は残していない」と健郎氏は言うが、関西インカレ400㍍リレーで第3位は立派な成績である。

卒業後は森下仁丹の関連会社に就職して東京渋谷で8か月勤務、昭和61年1月、家業の紀洋木材に就いた。その後は大阪の木材業界の青年経営者の集まりである大阪木材青年経営者協議会に入会して会長まで務め上げ、業界各方面の世話役を精力的に努めている。前年売上32億円、社員数27名、紀洋木材の総帥として活躍中。
以前は90%を占めていた型枠は今では30~40%、内装・造作が30~40%、合板が15~20%、売上32億円の内4億円が施工付きだという。

吉野石膏株式会社

大合商の組合長に就任して1年経過、2年目に突入している。「組合長は入会が遅かったからお鉢が回ってくるとは思わなかった。コロナで何も出来ていない、皆さんに申し訳なく思っている」。
「弊社もコロナで変わったから大合商も変わらないといけない、と思うがなかなか変えるのは難しい。何事も楽しくできたらいいのになあ、が僕の信条。日合商の新年会に初めて参加した時は驚いた。これほど大勢の人が集まり情報を交換するんだ、とにかくビックリした。これからもいろんな方に入会して頂き、情報交換を密にしたい。」

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